週刊メジャーリーグ

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”私をMLBに連れて行って!”    [毎週 日曜更新予定]
2009年6月11日号(Vol.272)
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40歳、日本人投手デビュー
高橋建投手がNYメッツでメジャー・デビュー、40歳の投手です。08年に広島からFA宣言をし、高年齢でのメジャー挑戦をします。そして、トロント・ブルージェイズと1年間のマイナー契約を結ぶことに成功しますが、春季キャンプを経た3月1日のオープン戦初戦で右ふくらはぎを痛め、3月30日に解雇されてしまいます。ところが、NYメッツが同日、彼をマイナー契約で拾います。3Aバッファローズでブルペン投手として6試合に登板し、防御率0.77を記録すると、4月末にメジャーに引き上げられます。そして、ついにメジャーデビュー戦は、5月2日のフィリーズ戦、2回2/3を被安打1、四球1、無得点に抑えることに成功します。40歳でのデビューはメジャー史上3番目の高年齢デビュー記録となります。
ディオメデス・オリーボ投手
もちろん、高年齢ランキングの1位はサッチェル・ペイジ投手で42歳、2位はディオメデス・オリーボ投手の41歳です。
オリーボ投手は1919年にドミニカ共和国に生まれます。ベースボールは草野球で楽しんでいましたが、表舞台に登場するのは、1951年で、ドミニカ独立リーグ、すでに32歳の高年齢投手でした。ここで彼は61年までの10年間プレーし、86勝46敗の成績を収めます。ちなみにドミニカ独立リーグが開催されるのは春と冬の期間です。では、夏はどうしていたかというと、彼はメキシコの独立リーグで投げていました。1955年から59年まで投げて55勝を記録しています。
このようにドミニカからメキシコを股にかけている彼に目をつけたのがシンシナティ・レッズでした。「どうだい、オリーボさん、ドミニカとメキシコリーグの合間に米国でも投げてみないかい?」というわけです。
このようにして、中南米独立リーグに所属する投手が“パートタイマー"として、米国のマイナリーグでも投げることとなったのです。
1960年にはピッツバーグ・パイレーツと契約、その年の9月にメジャーの試合に登板してデビューします。彼はメジャーの打者も苦手とせずに、その年は4試合に登板し、防御率2.79を挙げます。オリーボ投手は41歳になっていました。
1962年は中南米リーグでの仕事はお休みして、メジャーでもお仕事に専念します。中継ぎ投手として彼は62試合に登板し、防御率2.77という素晴らしい成績を挙げます。同時にすごいのが、奪三振、登板回数が82回1/3イニングで奪三振66ですから、大したものです。63年はカージナルスで投げて、メジャーから引退します。なお、彼の弟も息子もメジャー選手として活躍することになります。
高年齢投手
かつて日本では、投手の寿命は32歳とか35歳とか言われていた時代がありましたが、実はメジャーでは高年齢投手がすでにがんばっていました。今回の高橋投手の活躍で、投手の選手寿命説という常識を再検証するとおもしろそうですね。
コラム
過去の記事

2009年
236 「4割打者(8)」
237 「4割打者(9)」
238 「4割打者(10)」
239 「4割打者(11)」
コラム   4割打者(12)
終盤の攻防
7回表にフォックスの本塁打で1点を先制したアスレチックス、その裏にエームケ投手がマウンドに向かうと球場はざわめきました。アスレチックスは強力なブルペン投手陣を擁するにもかかわらず、エームケ投手の続投です。アスレチックスのコニー・マック監督は、引退寸前のエームケ投手が、ここまでの好投を見せるとは思っていませんでした。しかし、エームケ投手はやってのけました。ここで、替えるようでは、野球の神様に失礼であると考え、監督はエームケ投手にこの試合の全てを任せることにしたのです。
カブス
一方のカブシは、地元シカゴの初戦をポンコツ投手エームケ相手に負けるわけにはいきません。ホーンスビー選手.380、ステファン選手.362、カイラー選手.360、ウイルソン選手.345の高打率打者を揃えているカブスは、終盤で疲れの出るであろうエームケ投手を確実に粉砕できる自信がありました。
エームケ投手、力を振り絞る
しかし、エームケ投手は踏ん張ります。正直、終盤となり、手の握力も弱くなり、直球のスピードも落ちてきています。しかし、エームケ投手にはそれでも勝算がありました。彼の直球はスピードが落ちてもキレを失っていなかったからです。一見、緩く見えるその速球は打者の手元でしっかりと伸びる球筋を確保していましたし、また、コーナーへの制球力も抜群でした。7回、8回とエームケ投手はカブスを0点に抑えます。
最終回
最終回に試合は動きます。まず9回表にアスレチックスは待望の追加点を取ります。しかも2点です。これで点数は3ー0でアスチチックスのリードです。9回裏、最終回のマウンドにエームケ投手の姿がありました。しかし、そのエームケ投手は、ついにカブス打線につかまり始めます。一死一二塁となり、打者は巧打者リグラム選手、彼はエームケ投手の投げた渾身の球を見事に打ち返すと、走者が1人生還します。ついにカブスは待望の点を入れて、なおも走者が2人残ります。ここで本塁打が出れば、カブスは本拠地シカゴで逆転サヨナラ勝利となるのです。
エームケ投手続投
当然、この場面ではアスレチックスのリリーフエース投入の場面です。誰もがそう思いました。しかし、コニー・マック監督はベンチから動きません。エームケ投手に全てを任せたのです。ミッキー・カクレン捕手はマウンドに駆け寄り、エームケ投手に話しかけます。「あと2人で終わりです。あなたの最高のピッチングを見せてください」集まった内野手も声を掛けます。「エームケさん、打球は全て僕らが取ります。思いっきり投げ込んでください」
エームケ投手、勝利
カブスは、エームケ投手の続投に驚きますが、同時にほくそ笑みます。打線は下位打線ですが、まだ温存してあった強力代打陣で一挙に球威の落ちたエームケ投手を粉砕できる、と読んだからです。しかし、ここからエームケ投手は、生涯最後となる力投を見せます。渾身の力を込めて投げ込む速球と、抜群に制球された変化球で最初の打者を三振に取ると球場がどよめきます。でも、あと一人の打者がヒットを打てば同点、本塁打なら逆転サヨナラです。しかし、エームケ投手は渾身の投球で最後の打者を三振に切っております。2者連続三振、エームケ投手は夢であったWシリーズで投げるとともに、勝利投手になることに成功したのです!
Wシリーズはアスレチックスに
1929年、この年のWシリーズは多くの者の予想を覆して、4勝1敗でアスレチックスが勝利します。ホーンスビー君がポンコツ投手アレキサンダーでWシリーズを制覇したのと同様に、アスレチックスはポンコツ投手エームケの奮戦でWシリーズを制覇したのです。エームケ投手の奮戦で調子を崩されたカブス打線を、24勝のアーンショー投手、20勝のグローブ投手、そして頭脳派ミッキー・カクレン捕手を擁するアスレチックスは翻弄し、実力以上の力を発揮することでWシリーズをものにしたのでした。


Last Update : JUN. 11. 2009
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